笑顔の向う側
WEBサイト、ホームページを見る端末がパソコンからモバイル端末(スマートフォン、タブレット)にシフトしてから久しい。
当然WEBサイトのデザインも変わっていく必要がある。
横長から縦長へのシフト。
それだけじゃない。
モバイル端末を用いて、WEBを見るコンテキスト(状況)も意識する必要がある。
パソコンを持ち歩きながらWEBを見る人はあまりいない。
しかしモバイルの場合は机についてWEBを見る人は少ないと思われる。
机についていたとしても、珈琲を飲みながら、何か食べながら、おしゃべりをしながら、WEBを見ている。
つまり「ながら」である。
ディスプレイ上に意識を100%集中させていない。
このような状況で、情報の獲得を試みる。
目的を達成しようとする。
WEBを作る人は、この事を最低限理解する必要がある。
モバイルの、スマートフォンのディスプレイサイズの領域上で瞬時に情報を伝達するメディアを作らなければならない。
本当はいけないこと、絶対にやってはいけない…という前提で、「例え」ということで、以下のコンセプトで僕は最近WEBを作っている。
「車の運転中に目的を達成できるWEB」
車を運転している人が、情報を獲得出来るために、どのようなデザインが必要か、どのようなUIが必要か、を考えている。
運転に意識を集中させている人が、斜め読みで情報を獲得出来るようなメディアを心がけている。
そのために最も必要な事は「読ませない」ということだと考えている。
具体的に言うと、テキストからビジュアルへのシフト。
言葉に頼らない情報伝達。
ビジュアル、写真は雄弁だ。
もちろん、端的な言葉、キャッチコピーなどは必要だ。
ただキャッチコピーは読むものではない。
感じるもの。
コピー、ビジュアルといった、感じるコンテンツを中心にWEBを作っていく必要があると考えている。
トップページ、それもサイトに最初にアクセスした時に目に入る「ファーストビュー」は特にそのような構成である必要があると考えている。
インスタグラムが、SNSの天下を取った理由もそういうことなのではないだろうか。
「読む」から「見る」「感じる」ことによる情報取得。
これが現代のコミュニケーションなんだと分析している。
§
だから、最近写真をよーく見ている。
よーく見るというのは、インスタグラムで数を見る訳ではない。
同じ写真を、何度も繰り返し見る、時間を空けて見る。
その写真が語りかけて来るものが何なのか、それをじっくり分析したりする行為だ。
自分の状態によっては、同じ写真であっても語りかけてくるものが違う。
そういうことに気づけるようになるトレーニングと言った感じか。
実は今まで「写真」と真剣に向き合ったことがなかった。
写真はただの「複写」じゃないと考えている。
ただのスチールでも、その向こう側に、その裏側に膨大な情報量があるい違いない。
それを出来る限りピックアップ出来るような、そういう感性を身に着けたいと、最近強く思っている。
§
志村けんが死んだ。
人工呼吸器を付けている、意識がないと聞いた段階で内心ダメかもしれないと思っていた。
だけど、死んだというニュースを聞いて、激しく心を揺さぶられた。
§
WEBでいくつかニュースを見た。
当然、在りし日の志村けんの写真とセットでニュース記事は構成される。
何なんだ、志村けんの笑顔は。。
たった1枚のポートレートに、一体どれだけの情報量があるんだ。
なぜ、そんな笑顔が出来る?
なぜ、そんな笑顔が撮れる?
もしかしたら芸能人の死に涙したことは初めてなんじゃないか?
こんな体験は思い出せない。
§
写真の向こう側を探すトレーニングなんかしてたから…こんなに辛いんだろうか。。
笑顔が痛い。
寂しい。
§
この出来事が、新型コロナウイルスに対しての僕の考え方を大きく変えました。
ウイルスを舐めてました。
最悪ばかりを想定していたら前へ進めない…という考え方も僕の中にはある。
リスクヘッジが行動のスピードを殺してしまっては元も子もないとも考えていた。
何であれ、僕は志村けんの死を聞く前日まではマスクもしていなかったし、普通に行動していた。
今は間違っていたと考えている。
仕事をしているから、日常を出来るだけキープしないと、経済を出来るだけ正常に保たないと、苦しくなる人たちがいるのも分かる。
分かるんだけれども、今は行動範囲を最低限にする必要があると考えている。
考えるようになった。
そして、ウイルスに感染しないように注意することよりも、ウイルスを広めないようにしなければならない。
このウイルスは、正体が見えない。
どうやら感染していても、症状のない人が多いみたいだ。
自分は、もしかしたら陽性かもしれないと思い行動することにした。
大袈裟に行動することにした。
自分の心の針を信じようと思う。
今取りうる最善を選択し続けることにした。
いつの日か、大袈裟やったよなと笑われたらいいと思う。
大袈裟に行動して、オーバーに行動して、空振りで終わりたい。
石橋を叩き過ぎて壊す人だと言われたことが、実はコンプレックスでした。
考え過ぎて決断スピードが落ちるきらいがある点も自覚している。
だけど今は迷わん。
外出しない。
どうしても、出る必要がある場合は、自分は陽性なんだと思って行動する。
外国に住んでいる知り合いからメッセージが来るんですよ。
「今の日本は3週間前の◯◯◯だ」と。※◯◯◯はドイツだったりニューヨークだったり
日本だけが特別なんてことはあり得ない。
もし特別だったとしてもそれは後で分かること。
今は、既に問題が起きてしまった国の人の助言を聞くのみ。
最悪が起きる前だから、行動するのみ。
この国の、この地球の一員として、今現在望ましい行動をしばらくは取ろうと思います。
結構な根回しをしないと決断に至れない僕ですが、志村けんの笑顔のおかげで今回は全く迷いなしです。
仕事もお金も「生きてこそ」です。
しばらくの間、僕は「生きる」ための選択をします。
しかし、本当に志村けんの笑顔はいいね。
いいね。
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